気持ちに寄り添う(?)指導ーその良し悪し

学校現場でよく聞く文言に、「気持ちに寄り添う(指導)」というものがあります。この文言は一聴すると大変耳触りの良い言葉のように思えます。けれども、行動問題を呈している子どもにとっては、あまり効果的ではない場合が多いのです。そんな実例をお示ししたいと思います。

高等部1年生のC君は、何かを思ったり感じたりした時に、身近にいる教員に対して傷が残るほどの強さで腕などの柔らかい部分に爪を立てる習癖があります。C君は言語表出がないので、どういう時になぜ爪を立てるのか、語ってはくれません。大抵は、何かを指示された時や止められた時に起こすことが多いので、もしかするとイライラしているのかもしれません(これはあくまでも推測です)。

この「爪立て」に関して、これまではC君の気持ちを「忖度」して、“気持ちに寄り添う”対応として、爪を立てられた教員はじっと我慢して耐えていました。つまり、C君の思いのままの状況だったのです。

しかし、私はこういう対応に大いなる違和感を感じました。なぜなら、他者に爪を立てること、すなわち他害行動は、この生徒の社会適応を大きく妨げるからです。簡単に言えば、将来入所した施設で職員に爪を立てたら、絶対に嫌われてしまいます。

話は変わりますが、C君はなぜ爪を立てるのでしょうか?

これは、表出言語を持たないC君が発するメッセージなのです。彼は何らかの自分の思いを言葉で伝えられないので、爪立てという形で伝えようとしているのです。言い換えれば、誤学習された表出コミュニケーション手段なのです。

コミュニケーションは発信者(話し手)が発したメッセージに受信者(聞き手)が反応(応答)する相互作用によって成り立ちますから、爪立てを容認していたら、いつまで経ってもそれはなくならないでしょう。

以上のような理由から、私は逆転の発想で対応することにしました。

具体的には、爪立ては絶対に良くないという信念から、爪を立てられそうになったら素早く身を逸らし、同時に「離れて!」と短く鋭く簡潔明瞭に指示を出すようにしました。この結果、今のところ私は被害を受けずに済んでいます。

しかし、爪立てはC君にとっては、一つのコミュニケーション手段なのです。禁止するだけでは対症療法であって、根本的な解決には結び付きません。それゆえに、「機能的に等価な代替行動」(別項参照)を教える必要があるのです。表出言語を獲得するには時間がかかりそうなので、機能的に等価な代替行動としてはジェスチャーやサイン、絵カード交換などが考えられ、現在それらを模索中です。

とりあえず、繋ぎで効果がありそうなので取り組んでいることは、「タッチ!」と言ってロータッチで身体接触に応じることです。C君が爪立てをする前兆としては、教員の腕を掴んだりしがみついたりすることが多いので、そういう行動は一切拒絶(つまり、消去)した上で、彼が何かうまくできたり教員の指示に従えた時にはロータッチするのです。言ってみれば、不適切な身体接触は消去し、適切な身体接触は強化する「分化強化」(別項参照)ということです。

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